明治初期に開墾された森の中の棚田で、丁寧に育てるお米
胎内市持倉地区最上部の傾斜地に入植者向けに開墾された棚田。明治初期に高橋家の使用人同士が夫婦になり入植者として長年米作りを行っていました。
その後、後継者に恵まれず高橋家が引き受け現在に至っています。
先代の父の時代に、田んぼの真ん中を流れていた用水路を端に移し、2枚の田んぼを1枚にして栽培効率を上げるなどの改良を施しました。航空写真で四角に見える田んぼは、山の中で異質に見れるかもしれません。
ブナ原生林の落葉が、保水力を高め、伏流水がこの地区を麗します。
雪深い磐梯朝日国立公園。日本海で生まれた雪雲がこの山々に当たり大量の雪が降り積もります。初夏まで残る雪は、ゆっくりと融けて地中に染み込み、胎内市のいたるところで伏流水として地表に現れてきます。
ブナに代表される落葉樹の原生林が広がり、豊富な伏流水に恵まれた地域です。
また、胎内川沿岸段丘(断層崖)では、昔から伏流水が流れていました。
平成12年(2000年)に発掘された調査により、縄文遺跡であることが明らかになり、土器、石器、朱色の漆製品などが発見されています。
古くから米作りが行われていたようです。
森の田んぼには、沢からの伏流水が直接注がれます。
田んぼから上部に移動して県道を横切り、崖を登っていくと、小さな沢があります。
この沢は、鍬江沢川(くわえさわがわ)に合流するのですが、国土地理院地図に名前はありません。
この小さな沢から水を引き込み、パイプを埋設したり水路を作ったりして、田んぼへ直行しています。
この田んぼの上流には耕作地がありませんので、ミネラルウォーターが田んぼに注がれる、そんな環境でお米作りを行っています。
源流の分岐地点からの帰り道の写真です。
沢の本流は左側の崖下を流れて、鍬江沢川の本流に合流します。
引き込んだ水は、右側の水路で取り回し、パイプで県道下をくぐり抜けて、直接田んぼ脇の用水路に流れ込みます。
夏でも冷たい沢水です。
米づくりでは、田んぼに注ぎこむ箇所の周辺だけが冷たすぎて成長が遅くなるのが欠点。一部は最後まで成長が遅れますが、光学式選別機で玄米を選別しています。